無意識のうちに完成しているブログもそんなに嫌いではない。

みつまめ日記
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さて、さて、さて、

一度書きだすと弾みというものがつくようで。


最近自分の中でぐるぐるしていたものを少しまとめてみようかと、今日もさっそくブログでも書こうと、少しだけわくわくしながら遅い遅い我流のブラインドタッチで、お前は亀か。ぐらいの速度でゆっくり書いていくことにしました。



、、、。



考えながら書くには丁度いいのかもしれない。




さて、さっそくだけれど、何について書こう。




普段日常生活の中でふと、自分の中の誰かが雄弁に語りだす時がある。

本当はその瞬間を書き留めておきたいのだけれど、これまた難しい。あまりの雄弁さに自分でも思わず自分でも聞き入ってしまうほど。まるで本の中にでもいるような気分になる。なんやナルシストかと、思われるのは構わないけれど、わたしだって思いたくて思ってるわけではない。それはもう自分の中にありながら他人事みたいな話なのだ。あまりにも自然に語りだすから、一体どこからそんな言葉が出てくるのかと、自分でも不思議に思っているのだ。

いわゆる潜在意識。ってやつに深い関係があるのだろうけれど、私はあんまりそこんとこ詳しくない。

でも、正直あまり詳しく知りたくない。という気持ちもそこには存在する。

「これがこういう仕組みでこういう理由であなたはそうなのよ。?」そんなこと言われてみろ。一気に興ざめすること間違いない。

一体なんてことしてくれるのだ。と。楽しみに、それはもう楽しみにしていた漫画の最終回をネタバレされるような気分だ。もう、いくら謝ったって取り返しがつかない。うっかりだって許さない。場合によっては食べ物の恨みよりも恐ろしいと、私は思う。もう二度と味わうことのできぬ感動を返せ。しかもクライマックスのこのタイミングで。



説明がついてしまうなんてなんてつまらない。と私は思ってしまう。

もっと不思議な世の中であってくれ、あれこれなんでも説明するな。

、、、。

あとはそうだ、夢の中でも面白い夢を見ることがある。他人の夢の話ほどつまらないものはない。というのは世の中の常識だが、自分の夢について考えるのはものすごく面白い。あまりにも何度も夢の内容を思い出そうとするので、たまに、ごくまれにだが、夢で見た話しか現実の話だったか分からなくなる時がある。


ふと、就寝中、頭の中で言葉が横切って、ぼんやりとした意識の中、携帯にメモを取る事だってある。もう意識を持っている状態ではつかまえようと思ってもつかまえることのできない何かがそこにあるような気がして、夢と現実の間の隙間でしかつかまえることのできない貴重な何かに、わたしは好奇心がかき立てられるのだ。

でもほとんど意味のないことばかり。




・空気を変え、今まで動かなかったであろう心がゆらりとゆれた瞬間を。女は見逃さなかった。

・冷たい空気が詰まった物干し竿の空洞に冷たい空気を詰めてみた。

・わたしは、未来のわたしと約束をしたのだ。必ず帰ってきて。と。その約束が今果たされようとしている。私は永遠に今を生きたのに。未来の私と今中間地点で一緒になるのです。



この間は夢の中で本を読んでいた。それがものすごく面白かった。でも私はその本を知らなかった。そこにあったのは「面白い」という気持ちだけだったのかもしれないけれど、なぜかそこには内容がしっかり書かれている本があったのだ。自分の中にあったその本をいつか私は読んでみたいと思う。



わたしはずるいので、”わたし”に任せて書いているこのブログは、現実世界にいる”わたし”とは関係のない他人が書いていると思っている。実際そんなことないのだけれど、意識して書いている部分なんてほんの2%くらいなので、別にそれでもいっか。と思っている。

無意識に任せたブログも結構嫌いではない。

自分自身に新しい発見をくれるし、何より自分の中に言葉では説明できないという「安心感」がそこに生まれるから。


、、、。





だから世の中すべての出来事を「ソレハ、コレコレこうで、コウイウわけだよ。」なんて、、、やっぱり言わないでほしい。と私は思う。


おわり。

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