最近のやる気事情。

みつまめ日記
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こんにちは!みつまめです。

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「魔の三か月」到来か???

なんだかずーっとやる気がでない。

家のことも仕事も、そしてブログも。

そんな感じで、ここ一週間ほどやる気がないついでにご飯を作る気力もなかったので、あきらめてコンビニ通いをしていたのだが、

昨日の朝コンビニに行ったらいつもは無言のレジのお姉さんに「おはようございます」と声をかけられたので、「おはようございます(なるほど、私もついに常連客になったのね、、!!)」なーんて思いながら

「コンビニ常連客」の私はサンドイッチとコーヒー片手に職場へと自転車を走らせた。


ブログの方も(一応)思いついては書き思いついては書き、を繰り返していたのだが、一記事完成させるまでのやる気がどうもでてこない。


アドセンスにも合格してないし、記事数もほんの少し。はやくやらなきゃ!と焦るものの、頭とは別にどうも動かない私の身体と心。

一日経っても、二日経っても、ずーーとやる気がでないので、「あ、もうこれは、やるなってことだな。よし。」といつものように都合のいい自己解釈をしながら(?)

そのうち、やる気出てくるかな~~??と、わくわくしながら待ってみたりした。

わくわくわくわく











「、、、、あー分かった。これが『魔の三か月』ってやつね!!!!!」






























まだ、二か月しかたってなかった。










私の中の「やる気」はすかっり3連敗(いや、もっとか?)もう勝てそうにないので、無理やり、半ば強制的に、「いいから、とりあえず、やろっか。」を召喚させる。



「いいから、とりあえず、やろっか。」




「、、、、はーい。」
















(とりあえずパソコンをひらく)




(さーやるか~。)







いくら頭の中で考えてたって、ブログは書かないと意味がない。(自分に言ってる)


形にしないとどんなアイデも意味をなさないのだ。(自分に言ってる)









美味しいコーヒー(注インスタント)も準備して、「こっちだよー」と自分をパソコンの前へとおびき寄せる。



どうやら無事成功した模様。





5月末にブログを始めて現在7月末。


ブログ始めたばかりのころは


「え!ブログ楽しい!!」

「こんなに楽しいならすぐに収益化出来るんじゃない??」

「一年後には七桁ブロガーなんじゃない??」


「職業??あ!ブロガーです!!」

自分でもびっくりするくらい脳内にお花畑を咲かせ(もはや耕し)ていた。(しかも満開)

なのに、なのに、それなのに、

二か月が経とうとしている今、私の「やる気」は見事なまでに低空飛行。

そんな私はやっぱり凡人なのだ。

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結果を出している人はいったい何が違うのか考えてみる。

(みんなすごいなー)


さてはて、、、。

結果を出している人のメンタルはいったいどうなっているんだろう。

やっぱり目標があって、こうなりたい!がハッキリしてるからできるのだろうか。


結果を出した自分。が見えているから、現時点で成果が出なくてもずっと遠くの先を見て走り続けることが出来るのだろうか。


おそらく私は

「フルマラソンを走るなら、二泊三日の食事つき。」


給水だけじゃなくて座って休憩もしたいけど、、、なぁ。。。。?



本当に成功する人はきっと休憩なんてしないんだろうな。まさにランナーズハイで走り続けて一気にゴールしちゃうのかもしれない。


わたしがお茶飲んでる間に、さっさとゴールしてきっとワインとか飲んでるんだろう。

もしかしたら、ゴールしたい!より、ワイン飲みたい!!のほうが大事なのかもしれない。


絶対に達成したい!と思ったときに生まれるエネルギーが自分を動かす力になるのだ。


(わたしワインそんなに飲みたくないのかも。)


(永遠のお茶派なのかも。)


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私を動かすエネルギーは何?




そうなってくると私は収益7桁、6桁5桁4桁でさえ、絶対に達成したいと心の底ではこれっぽっちも思っていないのかもしれない。

なんか、好きなこと書いてて利益になったら嬉しいな。くらい。

本気で成果を出したいのなら、自分をそういったエネルギーが出せる状態にしないといけない気がする。どうしてもこれが欲しい!あれが欲しい!ここに行きたい!こうなりたい!そういった気持ち。

もしくは、結果を出さないと生活できない。一歩下がったら崖。そんな状況に自分を追い込む。

いわゆる「火事場の馬鹿力」みたいな?


そういった「欲」や「危機的状況」が今の私にはないのだろう。



ブログで収益が出なくったって、別に死ぬわけじゃない。

ブログを書かなくたって、別に困らない。



でも、ブログを書かなかった私、とブログを書き続けた私、は、間違いなく違う未来を歩いている気がする。

「ブログを書き続けた私を見てみたい。」それも私がブログを書こうと思う理由の一つなのかもしれない。



そして、わたしはきっと、こうやって書いてるときの「楽しいきぶん」を味わっていたいのだろう。

(あんなにやる気がなかったのに、いざ書き出すと楽しくなってくるから、不思議なもの。)

私のなかのエネルギーはきっとそういう小さな気持ちのよせあつめ。

きっと今は細く長く流れてる。


日記の記事を封印して気がついたこと。

ブログを始めて、まずは「アドセンス合格」を目標にしていたわたし。

二回目の不合格通知を受け取って、三回目の申請をする前に、試しに【日記】の記事を封印してみた。


封印してみて気がついたのだが、わたしはどうもしっくりこなかった。

なんだか、心がむずむずするというか、私のブログが自分のブログじゃないような気がしてしまうのだ。


なんだか、先生に褒めてほしくて、本当の自分を隠しているような、そんな気分。

(そんな気分になったので、一週間もたたないうちに日記記事を解放してみたら、ついさっき(本当についさっき)3回目の不合格通知が届いた。)



だから「もうそういうことだな。(笑)」「、、まあ、別にいっか!」(適当か)とやっぱり自分に都合の良い自己解釈をして好きなようにブログを書いていくことにした。


わたしはきっとそいうやってブログを「使う」ほうが、(人生がときめく片づけの魔法のこんまりさんの言葉をかりれば)私の中の「カチッとポイント」に「カチッ」と音を立ててはまる気がするのだ。

思い返せば、、、、。

思い返せば、小さいころから、「文字」を読むのが好きだった。

家にあったオレンジページの読者からのお便りや、テーマ投稿のページ。

単行本の漫画の柱に書いてある作者のコメント。

レシピ本の隅っこに書いてある小さなエピソード。

あ、あと新聞の四コマ漫画も。

そういう小さなコメントを見つけては、なんでか知らないけど、「あっ」面白いものみーつけた。知ってるのは私だけ。と言わんばかりに。わくわくしながら読んでいた。

なんだか私しか知らないような。子供のころ公園でビー玉を見つけた時のような気持ち。

(自分もこんな記事書きたいなぁ。)

もしかしたら心のどこかで思ってたのかもしれない。

だから、ブログを書くことがなんだかんだと好きなのかもしれない。



もしかしたらこんな感じで一年、二年、三年と、ブログを続けていくことが出来たら、続けた先に何か見えるものがあるのかもしれない。



将来の自分が落ち込んでるときに、過去の自分に励まされることがあるかもしれないし、

逆に、悩んで落ち込んでいたころのブログを読んで、その時の自分に「今は元気でやってるよ、大丈夫だよ。」って声をかけてあげることが出来るかもしれない。






はたまた、何かの手違い、気分屋神様の適当な暇つぶしで、私のブログが誰かの人生の何かを変えるかもしれない。

もしそんなことがあるならば



その時には

「すごいじゃん。(書いててよかったね。)」

って(先生からじゃなくて)自分で自分を褒めてあげられるような気がする。


「そんなブログが書きたいな~。。。」

             おしまい。

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