せっかくなので、昼間の勢いのままブログ書いてみた。

みつまめ日記
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こんにちは、みつまめです。








今日の昼間に生まれたブログ書きたい欲。




浮かんでは儚く消えていった3記事分の思考。









さっき仕事が終わり、無事に帰宅して、洗濯機を回して、「せっかくだし、この勢いのままブログ書いてしまおうかな。」と、パソコンに向き合ってみる。




ちょっと、お腹すいたな~と思いつつ、もらったパンをかじる。(こんな時間に食べるなって言われても帰ってきたらこの時間なんだよ、只今夜の9時30過ぎ。)





今日の午前中、仕事をしながら、「!!!」「え、これ、ブログに書かなきゃ!!」と、思ったことも、やっぱり不思議なことに、今一生懸命思い出そうとしても、まっっったく思い出せない。

その場で、メモを書こうにも、アップルパイのジャムを塗るための刷毛と鍋で、私の両手はふさがれていた。








頼りになるのは、自分の頭のみ。




















(、、、、、だいぶ頼りない。)


















、、、、、、、、、。










ブログを書く時はノルマをこなすように書いていくよりも、「書きたい!!!」って気持ちに乗って書いていくほうが私は好きだ。



(めんどくさがり屋で飽きっぽいわたしには、
たぶんそのやり方のほうが合っているのだと思う。)







ブログのタイプも、専門型、特化型、いろいろあるけれど、





どちらかといえば?私は、感情情緒の文系ブロガー(勝手に命名)だと思っている。(ナニソレ)





頭の中に浮かんだ言葉を、そのまま、文字にしていく。そういうタイプ。





でも、そのくらい気軽に「ひらめき」の波に乗ったほうが、案外、(他人からの評価はさておき、自分にとって)いいアイデアが浮かんだりする。





それに、そうやって生まれた文章や記事は、「その時の私」にしか、書けない。








思いついた言葉や文、言い回し、は、「ひらめいた瞬間」が一番新鮮で、エネルギーがあって、自分の心にすんなりと入ってくるような気がするのだ。















感情情緒の文系ブロガーらしく、?





小さいころから割といつも考え事をしているようなタイプだったので、頭の中でもう一人の自分が永遠に会話しているときがある。




人が発した言葉は、言葉そのものよりも、その言葉を言ったときのその人の感情のほうが気になる。






たまに頭の中のほうがずっと先に進んでいってしまって、手が追い付かない。なんてこともよくある。





小学生の頃は授業中よく手を挙げる子供だったし、とにかく自分の中で分かった!ってなったら、人に聞いてほしくて仕方がない。








きっと昼間に生まれた、「ブログ書きたい欲」もそんな感じ。(だと思う)





なんというか、


いっつも頭の中のもう一人の自分が騒がしくて、どんどんどんどん、つぎからつぎへと、芋づる方式に会話を引っ張ってくるので、話がどんどん広がっていって、あれ、私、結局なにが言いたかったんだっけ。。ってなる(笑)




たぶんこうやって、ブログにすることで、頭の中が随分、整理されていくのだと思う。

そして、その感覚が 私は「好き」なんだと思う。



そしてそれは、とっても心地が良い。


この、「心地が良い状態」というのが、私にとってはとっても重要で、


朝の時間も、仕事中も、私はこの、「心地が良い状態」にしておきたい。

だから何かをするときは、「自分の一番テンションが上がるやり方」を探す。




ブログだったら、インプットしながら、アウトプットするのではなく、日頃のちょこちょことしたインプットを、「書きたい!」と思ったときに思考を拾い集めて一つに繋げるようにアウトプットする。



仕事だったら、作業の間の考える時間をできるだけなくして、流れるように仕事がしたいし、、洗い物は全部終わらしてから、仕込みに移りたい。




タイマーがかかってるなら、タイマーに呼ばれると同時に、ストップボタンを押したい。(タイマーの「ピッ・・」と、ボタンを押す「ピッ」は同時が望ましい)




それが、自分にとってテンションの上がるやり方。そして、そのやり方をすることで、自分の持っている力を一番うまく使うことが出来る。





我慢しながら、や、耐える、という感覚が嫌いなので、「我慢してやっている」「やらされている」という感覚にならないように、私が編み出した仕事を楽しむための工夫。




「我慢してるんじゃなくて、自分で選んでやっている。

「やらされてるんじゃなくて、自分がやりたくてやっている。



そういうふうに、仕事も生活も正直人生すべて、「自分で選んでいる」という意識があることが何より大切なことだと思っている。


そういう思いで仕事をしていると、毎日楽しい。し、不思議なことにしんどいこともしんどくなくなる。(なくなるというか、乗り越えることが出来る。)


自分で選んだことだから、どうやって、乗り越えよう。どうやったら楽しくできるか。と考えるようになるのだろう。


まさにゲームのコマンド選択と一緒の感覚(笑)(あんまりゲーム、詳しくないけど。)


だから、何かを選択するときは「その選択をした自分」と「しなかった自分」の二人を想像する。


そして、それぞれの選択のその先のエンディングを想像して、より、自分を好きになれるほうを選ぶ。


わたしの思考はそんな感じ。(あれ、私、結局何が言いたかったんだっけ。。)






パティシエという職業柄、よく友達に「好きなことを仕事にしているのがうらやましい」といわれるのだが、


そのたびに、私は「え、それなら○○も好きなことやったらいいじゃん。」と答えていた。(笑)


だけどどうやら、友達曰く、そういうことじゃないらしい、、、、。(笑)





友達「自分が好きなものが何か分からない、。」




私「???」





え、あるでしょ、好きなことの、一つや二つ。(三つや四つ、、、五つに六つ、、、以下略)











わたしにとって、人はそれぞれ好きなことや得意なことがあるものだと思っていた。





だけど、どうやら、そうじゃないらしい。




けっこう周りの人を観察していると、「そもそも自分の好きなことが分からない」もしくは、「本当に好きかどうか分からないから動けない」という人が案外多いことに気がついた。


わたしは小さいころから「好きなことを見つけるのが得意」なタイプだったので、せっかくなのでこのままの流れに任せて、私の経験をもとに、「好きなことの見つけ方」に関する記事を書いていこうと思う。



「自分の好きなことが分からない。」そんな人の参考になれば嬉しい。

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みつまめ流。「好きなことの見つけ方」

好きなことを見つけるのは、とっても簡単。みんな気づいてないだけで、そこらへんに落ちてる。「あら、こんにちは。そんなとこに落ちてたの。」って感じ。(どんなや。)



「え、ずっと探してても分からないのに!!!!」



そんな人は、「好き」のハードルがうんと高くなっている気がする。



わたしが思うに「好き」というのは、その言葉や単語を想像したときに「自分が心地よいと感じるかどうか」だと思っている。




以前ツイートした、



のようにとにかく今すぐ紙とペンを用意して、思いつく限り、自分が好きなものを書き出していってほしい。



ためらったり、迷うことなく、とりあえず書き出す。


「ケーキ」「朝」「コーヒー」「本」「書く」「作る」「海」「自然」「旅」、、、、など

「筋トレ」「バスケ」「洗濯物を干すとき」「買い物」「カラオケ」「家」「車」「彼氏、彼女」「最近買った財布」「夜更かし」「ゲーム」「昼寝」

色でも物でも、人でも、言葉でも。なんでもOK。

そして、その単語を聞いた時に心地よいと感じるかどうか。その単語をイメージした時に自分がどう感じるか、にぜひ注目してほしい。

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心地よいと感じたら、もうそれは、立派な「好き」

イメージした時に「プラス」の感情が芽生えたらもうそれはあなたにとって、立派な「好き」

(繰り返していくうちに自分にとって、好きなもの(心地の良いもの)と、あんまり好きじゃないもの(心地よく感じないもの)との見分けもついてくる。)


もちろんこれは、やる日によって出てくる単語は変わってくるし、その時の環境や心の状態によって、以前は好きだと思っていたものも、今は好きじゃない(心地よく感じない。)ということも出てくる。

でも、それでいいし、好きなことがずっと同じでなきゃいけない、なんてこともない。

だから、

「得意じゃないと好きだと言っていけない」「のめりこむほど好きではない」「ちょっと興味がある程度」

そういって、「好きなのものリスト」から意識的に外していたものも堂々と、そして気軽に、「自分の好きなものリスト」の中に加えていってほしい。

それが自分の中で種になって、ほかの誰でもない、自分自身。を作っていく材料になる。

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好きなものを見つけたら、「心地よい感覚になるのか」を考える。

次にさっき上げてもらった、単語が「なぜ、心地よく感じるのか」その理由を考えていってほしい。

また、理由だけじゃなくてついでにその単語からさらに細かく書いていくのも良い。(「朝」だったら、さらにどんな朝が好きか詳しく書いていく。)

「ケーキ」「朝」「コーヒー」「本」「書く」「作る」「自然」「海」「旅」、、、、

「ケーキ」食べると幸せ、甘いものが好き、

「朝」朝の陽ざしが好き、新しい感じがする、余裕のある朝、すっきり目が覚めた朝、

「コーヒー」香りが好き、頭がさえる、リラックスできる、落ち着く、

「本」新しいことを知れる、世界が広がる、さらに集中して読んでいるとき、

「書く」頭の中が整理される、

「作る」何かを自分で生み出すことが好き、楽しい、

「自然」落ち着く、静か、実家を思い出す、自由な感じがする、

「海」入るより眺めてたい、解放的なイメージ、落ち着く、

「旅」旅行好き、ホテル、旅館好き、非日常感、ホテルの朝食、




そもそも遊びの計画でもなんでも「好きなことを考えている時間」が一番楽しい。だから難しく考えずに楽しみながら考えてみてほしい。(楽しんでる自分に気がついたら、「好きなことを考えること」も自分の好きなことリストに堂々と追加しよう。)

私が大切にしているのは、こうやって書き出すことによって少しづつ「好きなことや楽しいこと」を考えているときの自分の状態、感情、感覚を覚えるということ。


こうやって書いていくと、実は上げていった「対象自体」が好きというよりも、その「対象から生まれる心地よい感覚」が好きなことに気がつく。

日常の生活と照らし合わせていく。

好きな理由がなんとなくわかったら、普段の生活の中で、自分の頭の中の好きなものリストをもとに、心地よい感覚になれるように選択をしていく


すっきり目が覚めて、余裕のある朝が好きだったら、夜更かしして、眠い朝より、自分は早く寝て朝の時間を有効活用したほうがいいな。」

とか、

「ケーキが好きだから、毎日コンビニでお菓子を買うよりも、休日にケーキ屋さんで美味しいケーキを食べるほうがいいな。」

といった具合に。



「自分がどうしてそれが好きなのか」を知ることで、

自分が本当に喜ぶ選択肢を選ぶことが出来るようになっていく。

好きなものに囲まれている自分がもっと好きになる。

こうした選択を繰り返していくことで、「気がついたら好きなものに囲まれていた」という事態におちいる。



本当に、あ、こんなところにも、あんなところにも。とそこら中に落ちている好きなものも拾えるようになってくる。



え、こんなとこに、落ちてたの、って結構びっくりする。






(そして、自分に必要ないもの、を、躊躇なく捨てられる。という副産物もゲットできる。)

(そして、家にフォークがないという事態に発展する、、、、。)

好きなことを見つけるということは自分を知ること。

結局、好きなことを見つけるということは、自分を理解することだったりする。



好きなことがあるということは、あるときは自分の心のよりどころや余裕になるし、あるときは嫌なことを乗り越えられる力になるし、またあるときは自信にもなる。

私自身そうだった。

好きなことや得意なことはエネルギーになる。

道行く人を見ていると、表情が暗かったり、疲れていたり、なんだか、不機嫌そうな人が多いな~と感じることが多くなった。

毎日「やらなきゃいけないこと」に追われて、無意識に毎日を過ごしていってしまったり、自分の本当の気持を抑えて周りに合わせている人や、否定されることを恐れて、自分の感情を外に出せない、そういう人を見かけると、なんていうか、何とも言えない、もどかしい気持ちになっていく。

自分を抑えて、我慢することにエネルギーを使うことよりも、自分を理解し、表現することにエネルギーを使えたらどんなにいいだろう、、、

目線や考え方を変えるだけで、日常のいろんなところに素敵なものやときめくものが落ちているのに、それに気づけないのは非常にもったいない。

もっと、みんながそれぞれの「好きや得意」なことに目を向けて(もちろん、十分な思いやりを持ったうえで)自由になれたら、もっと素敵な世の中になるんじゃないかなぁと思っている。

ありがたいことに、私はほかの人よりも、自分が好きなことを見つけるのが(ちょっとだけ)得意なようなので、私のこの、ほかの人よりも(ちょとだけ)得意なことが、誰かの役にたったり、何かのきっかけになれたら幸せだな。と思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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